なんでもできる!




私は、できないと思ったことがない。

なんでそうなったんだろ?・・・と、
思い返してみると、

物心ついた頃(もしかしたら、自分でも
記憶のない頃からかもしれない)から、
私は、父から、「かおりはなんでもできる。
本当に賢い子だ、できるできる!
すごいすごい」と言われ続けて育った。

ものすごい子煩悩だった父は、
四六時中、私にくっ付いて、なめまわすように
可愛がってくれた。
私は父が大好きだった。

自営業だったこともあって、本当に24時間
一緒にいられるんだけど、あまりに私が好きすぎて
仕事をしないので、母が私を離すようにしていたらしい。

 

愛情たっぷりで、馬鹿が100個つくくらいの
親バカっぷりは、最高の承認なんだと思う。
そして、私が何をやっても喜んでくれたのを思い出す。

だから、私は喜んで欲しくて、
いつも父の喜ぶ顔が見たくて、
がんばってた。

だから私は、自分ががんばると、近くの人が
喜ぶと思い込んでいる。
そして、喜んでないと、凹む・・・けど
喜ばせたいと思って、もっとがんばる。
喜ぶ顔が見たくて。

私は、子供の頃、怒られた記憶がない。
全くないってことはないんだろうけど、
覚えてない。

そして、今、娘のリオは、
「私はママに怒られたことない」と言う。

叱ったことはけっこうあったと思うんだけどな。

リオは、私のように、無鉄砲に、

なんでもやってみよう!
やってみんとわからんじゃん!

と、即行動、とは、ならない。
自分の判断が正しいとは思えない、
自信がないようだ。

私からの愛情が足りなかったのかな?
褒め足りなかったかな?

よし、これから、もっともっと褒めて褒めて
褒めまくって、そして、愛情をもっとたっぷり
親バカになるぞ~\(^o^)/
(充分に親バカのような気もするけど)

 

その後、親バカな父は、可愛さ余って、
年頃になった私を、心配のあまり、
そのすごく厳しく束縛するようになってしまった。

そうなると、うっとおしくて、その反発心から、
グレるというお決まりのコースへ・・・

ヤンキーのコースは、結婚が早い。
21歳で、家を出たくて結婚。
しかも、結婚した人は、やっぱりヤンキー。
この結婚は、後に破局するんだけど・・・

子供生んで、孫をめちゃめちゃ可愛がる父を
見ていたら、自分のことを思い出した。
自分が親になると、親のありがたみがわかるって
ホントだね。

 

2人目の障害を持って生まれてきたマヤのこと、
私らがあーだこーだ言ってる時、何も言わなかった父。
実際、私自身は、「生まれてこなければよかった」だの
「親に申し訳がない」だの「なかったことにならんか」
「夢であってほしい」・・・・とか、ぐちゃぐちゃ
考えてて。

生後1ヶ月。
やっと、入院から開放されて、家に帰ってきて、
おじいちゃん、おばあちゃんに初ご対面。
(特別な病棟だったため、入院中は、両親以外は入れない)

父の最初の一声

「かわいいな」と、
抱きかかえて連れて行った。

なんか、泣けた。

 

その1年後、突然父は、朝、布団の中で
やすらかに死んでた。
私たちになんの迷惑もかけることなく・・・
しかも、何も言わず突然に・・・・

かおりん、27歳。

なんの親孝行もできなかった・・・

 

父が亡くなって24年

やっと、父からもらったことの大きさがわかった。
私が生を受けて、人生の中で受け取ってきたものを
これから、一生かけて、私ができる限りのお返しを
していくこと。

たくさんの承認をもらった私は、
承認されることが、どれほどの自信と行動に
繋がるのか、本能でわかってる。

だから、それを今度は私がする番。

 

さぁ~\(^o^)/ 張り切っていくぞ~♪

 

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かおりん

「幸せは『なる』のでなく『感じるもの』。恋は『する』んじゃない『落ちるもの』。少しのニュアンスの違いで、いきなり幸せ体質に♡そんなかおりんの4つの視点「営業」「コーチング」「人育て」「ポジティブマインド」で、お伝えします。