今月、マヤは25歳になります…が、
知能が2歳程度の彼女は、
あどけない顔でいつまでも赤ちゃん(笑)
以前、ダウン症の女の子を持つアナウンサーの記事を読みました。
そこには、
「死んでしまおうと思うほど悩み、
そんな私の弱さを、自分の責任だと、
母が、娘と孫を育てると宣言した。
それからこの子の生まれた意味を考え、
やっと受け入れることができた。
2年かかった。」とありました。
どこも、どこの家族も皆優しい…
私も、私の父がなんの躊躇もなく
「かわいいな」と
マヤを抱き上げてくれたから、
自分とマヤを許すことができて、前を向けた。
私は受け入れるのに3年かかったけど…。
障がいのある子を育てながらも、
活躍しているママがたくさんいて、
お互いに勇気を与え合い励まし合う。
あきらめるか、やり抜くか、
社会復帰する時に、相当の覚悟をしたのだろう。
一生手が離れない子だとわかったら、
どこかで離れて暮らすことになると、覚悟した。
「マヤちゃんは、早くから施設にあずけて、
勇気あるし、可哀相だと思ったけど、
今になって、早くから考えとけば
よかったと思うよ」
と、養護学校の時の同級生のママに言われる。
確かに入所施設の数は少なくて、いざ入れたいと思っても難しい。
勇気だとか、可哀相だとか、
いいとか、悪いとか考えたら
なんも決めれなかったなぁ…
ぶっちゃけ、シングルマザーで起業して、
ただただ生きてくるのに必死だっただけなのです。
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