ちょっと懐かしい話なんだけどね、
あるリサイクルショップさんのオーナーさんと話したこと。
「かおりんさん、いつも調子よさそうですね。
どうしたら、そんなに良くなるんですか?うちはだめですよ」
うんうん、それで?
何がだめなんだろ?
「ゴミばっかり入ってきません?
勝手な客ばっかりだし、
どれだけ言っても、張り紙しても、
ゴミは来るし、いい物が入ってこないし、
うちでは扱ってないブランドばっかり山積みで、
もういやになってくるんですよ。」
こう言うのは、私が以前リサイクル業界で
講演をさせていただいたことがあり、
その時に聞きに来てくださったのがご縁で出逢ったオーナーさん。
このオーナーさんの気持ちはわからなくもない。
毎日毎日、服に埋もれて、同じような作業を続けていて
服があるのが当たり前、そして、どんどん自分都合に思考が進んでしまう。
「もっと、私の思うようになってほしい」そう願い、
思うようにならないことを不満に感じる・・・・不幸だ。
『感謝』の反対は、『当たり前』
今、このお店がうまくいかないのは【当たり前の渦に巻かれてしまった】から。
たったそれだけのこと。
そして、こう聞いた。
「そのお客様達は、どうしてあなたのお店にお洋服を売られるの?」
そしたら、そのオーナー
「お金が欲しいんでしょ、きっと。だったらもっといい物もってくりゃいいのよ」
なるほど・・・
当時かおりんがいた会社では、販売できないお洋服のことを「宝物」って
呼んでた。
このオーナーがゴミって言ってるもの。
着用感がある・・・それは、ものすごく長く気に入って着られたものということ。
「このお洋服は気に入って長く着られたんですね、
とってもお客様のお役に立ったんですね、
大事に着られる方なんですね。
お洋服達は、幸せですね」
そして、この宝物と一緒に、私達が販売させていただけるお洋服を
持って来ていただける。
お忙しいでしょうに、
この雨の中、
こんなにたくさんの量、
わざわざそんなに遠くから、
ご丁寧に箱に詰めてくださって、
こんなに小さなお子さんがいらっしゃるのに、
こんなに重いのに・・・
【あなたが来てくださったおかげで、今日も利益をいただいています】
「なんの文句があるんですか?・・・お客様に。」
こんな話をして静かにキレてました(笑)
当時の会社がまだ始まったばかりの頃、
私の服を売ったことがあります。
その時のバイヤースタッフ、
「ごめんね、この服は○○で、これも○○で
あれは○○で、こっちで処分してもいいかな・・・・」と。
販売できた物も、もちろんありました。
そういわれて、
「会社の役に立ちたくて持ってったのに、迷惑かけたなぁ、
そんなにゴミばっかりだったんか・・・」
と、さみしい気持ちになった。
なので、このことをそのまま伝えて、私の服はもう売らないよって言った。
そのときは私の気持ちは伝わらず、嫌な事言う奴だなって空気になった。
しばらくして、その時のスタッフから、泣きながら電話が掛ってきて
私の家まで来てくれて、
「ごめんね、かおりん。
私、全然気づかなかった、店都合の考えになってた。
かおりんが、あんなにたくさんの服を、重いのに、持って階段下りて
私が喜ぶ顔を思い浮かべて、持って来てくれたんだよね。
いくらだとか、なんで買えないとか、どうでもよかったんだよね。
うちの役に立って欲しい、喜んでほしいって思ってくれたんだよね。
その時のかおりんを想像したら、自分は何を言ったんだろって
傷つけたなって思って、どうしてもかおりんに直接会ってあやまりたくなったの」
と、泣きながら、「かおりんの気持ちが本当に嬉しかった。ありがとう」って
言ってくれた。
こちらこそありがとう・・・気持ちが伝わって嬉しくて一緒に泣いた。
そして、もう一つだけ、私からお伝えすること。
当時のオーナーさん達がみなさん口を揃えて言われたことがあります。
とにかく来てくださったこと、ご縁があったことに感謝し、
そして、お役に立っていることをお伝えすると、
必ず、またすぐに来てくださり、
次に来る時は、前よりいい物、新しい物が届き、
回を増すごとに、さらに人に喜ばれる物が届き、
そのお客様は何度も何度もご利用いただき、
そういう方々が増えていき、そのおかげでお店を継続させていただける。
お店は、お客様に続けさせていただき、大きくしていただくもの。
とにかく、感謝以外に、思うことは一つもないと私は思っています。
※この記事は2009年4月30日に書いたものを、リライト・転載したものです。
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