「女手ひとつで、よく1人でがんばってきたね」
と、言っていただくことがよくあるんだけど、私自身は
がんばったという意識が全くないし、
苦しかった、つらかった、もない。
「女だから大変…」もなかった。。
そもそも「もし○○だったら」と、
過去の仮説を考えたこともない。
24年前にマヤが生まれて、
重度の障がい児だと告げられ、
私も周りも何かのせいにしたかった時、
過去を悲観せず、誰も罪に問わず、
事実を事実と受け止めて、前を向くこと。
それを、マヤが教えてくれた。
シングルマザーだから、
子どもが小さいからと、
それでやれなかったことは1つもない。
リオとマヤがいてくれたからこそ、やれたことばかり。
経営したり、暴走しまくったり…。
長女からは「ママが作ったお弁当の記憶ない」
と、言われ…ごめんよ…。
マヤは10歳から入所施設でお世話になり…。
「かおりんの子育ての本を書こう、働くママの勇気になる」と言われたと、
リオに言うと、
「ママが子育て?絶対ないじゃん」
と……あぁ。
そうか、やれたことはたくさんあったけど、子育てしてないんだ。
がんばってなかったと思ってるのは、生きるのに必死だっただけ…。
強がる余裕すらなかったので、
いつもたくさんの人に助けられて、1人じゃなかった。
生きてこられたことに感謝しかないです。
マヤの定期受診が終わった時、
私は仕事へ、マヤは多治見の施設へ。
「じゃあね、マヤ、またね」と言うと、
いつもならあっさりしてるのに、
珍しく私の車から離れない。
引率の施設員さんから、
「来週施設の盆踊りがあるんですよ、
お母さん来れませんか?
もし、マヤちゃんに浴衣があれば…」と、
日にちを聞いたら、お、行ける!
「マヤ、浴衣持って行くね、
一緒に盆踊りしようね」と言うと、
少し笑顔で、施設員さんの車に乗り込んだ。
わかったんだか、わからなかったんだか…
私は過去を悔やむ感情はないと、思っているけど、
時折、やれなかったことに胸が痛む。
家に戻って浴衣を出して
リオが6ヶ月の時に甚平、1歳で初浴衣、2歳、4歳、6歳、9歳、13歳、、、
浴衣好きな私は何枚買ったんだ(笑)
ずっと、マヤはリオのお古を着てきた。
リオが中学生で着た浴衣を持っていったら、大喜びだった。
ピンクの浴衣、似合ってたよ、マヤ。
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