知覧特攻隊の話を聞いて、その中で若者たちの遺書や
その思いを写真と一緒に見させてもらいました。
「経営者は全員知覧に行ってくるといい」と
今まで、何度もいろんなところで聞いたけど
本当に行ってみたいなと思った。
太平洋戦争の終戦近く昭和20年3月から数ヶ月間
本土最南端の鹿児島の知覧基地から、
17歳~22歳ぐらいの多くの若者が飛び立った。
彼らの遺書の一文・・・
「国のため死ぬ喜びを痛切に感じております。
ただ心からありがとうございました。
笑ってこれから床に入ります」
「笑って征きます。天皇陛下万歳」
「人世の総決算 何も謂うこと無し」
「俺が死んだら何人泣くべ」
「花は桜木 人は武士」
「ニッコリ笑って 敵艦と心中」
「死する者は強し」
「一度死んでみるべえ」
これからという若者が、笑って死ににいく姿。
知覧基地に各地域から集まり、4・5日の訓練後に
命令が下りて飛び立つ。
知覧には、ご両親が見送りにくることもあった。
夜中トイレに起きた親をトイレに連れて行くことが
最後の親孝行と言った隊員がいるという。
切ない親孝行。
こんな話が数え切れないくらいある。
私は、戦争関係の映画とか、話があまり
好きじゃない。
それぞれの思いが重すぎて、
なんともできないことがやるせない気持ちで
見たいという気がおきなかった。
ただただ、可哀想なだけで、それなのに
世界中で、まだまだ戦争がおきていて
そういうところに目を向けると、憤りや悲しみなど
感情が行き場をなくしてしまう。
以前セミナーでこの知覧の特攻隊の人達の
遺書をまとめたものを見せていただき・・・
お国の為にと洗脳されて、将来有望な若者たちが
命を落としていった・・・と、それしか思って
いなかったんだけど、
・・・すごいな・・・
この一言だった。
お国の為なんかじゃない、愛する人達を守るために
自分の命を捧げた。
人は人の為に、愛する人のためになら
笑って死ねるんだ・・・
まだまだ子供のような若者たちが、
人を守るために命を掛ける。
人の事だけを思って死んでいく。
その中の、16歳くらいの継母に育てられた
隊員が書き残した遺書。
「明日ついに私は飛び立ちます。
今まで育ててくれてありがとうございました。
見事に武勲を立てられるように、願っていてください。
最後にどうしても心残りが一つあります。
小さいときから、あなたにはなつけませんでした。
どうでも良いようなことで、
あなたには随分傷つけるようなことをしました。
最後にどうしてもあなたに言いたい事があります。
“おかあさん、今日まで本当にありがとうございました”」
命を大切に、自分が「今」生まれた理由。
今、するべき使命をしっかり考えたいと思った。
自分ひとりで生きている気になって
ひとりでなんでもやれる気になって、感謝を忘れて
自分が自分が・・・と、なってしまうことになる。
ひとりひとりが、「感謝の心」を忘れずに行動すること。
それが、最大に人の力を引き出すことなんだと
本当に思った。
※この記事は2009年1月26日に書いたものをリライト・転載したものです。
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